中学2年生のある女子生徒。
美術部に所属していた彼女は、いつも静かで、まわりにさりげなく気を配ることができるタイプの子だった。
成績も抜群。努力を惜しまず、提出物も期限前にはきちんと仕上げる。
いわゆる「優等生」。教師として安心して見ていられる、そんな生徒だった。
ある日、美術室で準備をしていた僕のところへ、彼女が一人でやってきた。
その日は放課後、美術部の活動はなかったはずだ。
「先生、ちょっと相談があるねん」
そう言って、彼女はおずおずとイスに腰を下ろした。
ふだんの彼女の落ち着いた雰囲気はそのままだったけれど、声のトーンがいつもより少しだけ小さいことに僕はすぐ気がついた。
「どうしたん?」できるだけ重くならないように
僕は、できるだけ肩の力を抜いて尋ねた。
すると彼女は少し迷ったあと、ぽつりと言った。
「クラスに嫌いな子がいてるねん」
話を聞くと、その子とはもともと仲良し3人組だったという。
けれど最近、何をするにも彼女だけに反対意見を言ってきたり、マウントを取ろうとしたりするようになったらしい。
彼女は、明らかにその子からの“あたり”が強くなっていると感じていた。
「それはイヤやな」
僕はまず、彼女の気持ちに寄り添うことにした。
ただ、正直なところ、その子との間に何があったのかは彼女の「感じ方」によるものかもしれない。
いわゆる“思い込み”の可能性もある。優等生である反面、彼女はいつも自信なさげに見えていた。
でも、そこで事実かどうかをジャッジしてしまうのは得策ではない。
突き放すような言葉は、心のシャッターを下ろさせてしまう。
ここはゆっくり、じっくり、彼女の話を聞き出すことが大切だった。
「それ、嫉妬ちゃうか?」
彼女は何度も「なんでやろなぁ」と言っていた。
その子に悪口を言われたわけではない。直接的なトラブルがあったわけでもない。
でも、確実に空気が冷たくなっているのを感じる、と。
一通り話を聞いたあと、僕は彼女に言った。
「それ、嫉妬ちゃうか?」
彼女は、すぐには納得していない様子だった。
「いや、それは嫉妬やで。ソイツはお前のことが羨ましくてしゃあないねん。だから、嫌がらせしてくるんやと思う」
僕は、この問題の本質が**彼女の“自己肯定感の低さ”**にあると感じていた。
自分のことを過小評価しているから、相手の攻撃に必要以上に反応してしまう。
そこで、少し背中を押すように、こう続けた。
「ほな、余裕を見せろ」
「お前、ソイツと話すのイヤやろ?」
彼女は一瞬黙ったあと、はっきりと言った。
「イヤや」
「でも、中は悪くなりたくないやろ?」
彼女はこくりと頷いた。
「ほな、簡単や。余裕を見せたらええねん。そのために、こう言ったらええ。“そういう意見もあるかもねー”って」
彼女はきょとんとしていた。
「たとえばな、何か反対されたとしても、“そういう意見もあるよなー”ってサラッと言って、スルーして話を続ける。それだけや」
「また何か言ってきたら、“なるほどー、あなたはそう考えるのね〜”って流すねん。そしたら次第に言ってこなくなるよ」
「もちろん、いい意見はスルーしたらあかん。3回に1回くらいは“それもいいかもね”って聞いてあげるんや。
それが“余裕”ってもんや。小さい子に優しくする感じで接するんや。やってみ?」
数日後、再び美術室で
数日後、彼女がふたたび美術室にやってきた。
今度は、仲良し3人組のうちのもう二人も一緒だった。
問題の生徒はそこにはいなかった。
彼女は明るい表情で話してくれた。
「先生の言っていたアレ、やってみた。そしたら、その子はだんだん距離置いてくるようになってな。今はその子、新しい友達とおるねん。私ら3人は今、めっちゃ落ち着いて過ごせてるわ」
彼女はうれしそうだった。
誰かを変えるのではなく、自分のスタンスを変える
もちろん、問題の生徒の性格や価値観を変えることはできなかった。
でも、彼女自身が「余裕を見せる」スタンスをとったことで、環境は大きく変わった。
人間関係って、とても難しい。
でも、それは10代であっても同じことだ。
むしろこの時期のほうが、些細なことが心の大きな波になる。
今回は、担任の先生にわざわざ報告するような内容ではないかもしれない。
けれど、彼女の居場所が少しでも居心地のよいものになったのなら、それだけで十分合格だと思う。
おわりに:子どもたちの「ちょっとした相談」を受け止める力
子どもたちは、思春期という不安定な時期に、小さなことでも深く悩む。
「そんなことで?」と思ってしまうような内容であっても、彼らにとっては切実な問題だ。
僕たち大人にできることは、「話しても大丈夫」と思ってもらえる関係性を日常の中で作っておくこと。
それが、彼らが安心して自分を出せる場所になる。
美術室という空間が、彼女にとってそういう場所になれたのなら。
それは教師として、何よりもうれしいことだ。
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